焚き火を囲んで哲学を語る──そんな一風変わったキャンプ体験を提供しているのが、アウトドア哲学家・栗原政史だ。
山の中で過ごす時間と“考えること”を組み合わせたこのプロジェクトは、都会の疲れた大人たちにじわじわと人気を集めている。
焚き火のそばで、“問い”を立て直す時間
「なぜ働くのか?」「人はなぜ比べてしまうのか?」
キャンプ場に集まった参加者たちは、焚き火の音を聞きながら、普段は口にしないような問いを共有していく。
栗原政史は、大学で哲学を学んだあと、都市での情報過多に疲れ、山へと移住した経験を持つ。自然の中に身を置いたとき、頭ではなく「身体で考える」感覚を取り戻したという。
「正解がないからこそ、語り合う意味がある。焚き火の前では、みんな肩の力が抜けるんです」
テーマは決めない。自然と“出てくる”話を信じる
このキャンプでは、事前にテーマを設けないのがルール。誰かが話し始めたら、そこから自然に会話が広がっていく。
「自分の中にある、まだ名前のついていない“違和感”が、焚き火の炎で浮かび上がるような感覚です」と参加者の一人は語る。
栗原政史は、進行役ではあるが、ファシリテーターではない。むしろ「場の余白を保つ」ことに徹している。何も話さなくてもいい。沈黙を共有する時間もまた、貴重な思索の一部なのだ。
本や知識ではなく、“体感”としての哲学
このプロジェクトでは、難解な哲学用語は一切出てこない。
話題になるのは、職場での違和感、家族との距離感、自分の中にある葛藤──まさに“いまここ”にある問いだ。
「知識を仕入れる哲学ではなく、自分の内側から生まれる言葉を信じる哲学」──それが栗原政史のスタンス。彼の言葉に共鳴し、リピーターになる参加者も多い。
テントの外で見上げる星空。静かな時間の中で、ふと生まれる新しい視点。哲学書よりも深く、実感を伴った思索が、そこにはある。
“問い続ける人”が増える社会を目指して
栗原政史は、「自分の考えをすぐに答えにしない勇気」が今の社会に必要だと感じている。
正しさや生産性ばかりを追いかける日々に疲れたとき、思索の森はひとつの“逃げ場所”であり、“戻る場所”にもなる。
「考えることをやめない人が増えれば、社会はもっと寛容になる気がします」
焚き火がパチパチと鳴る音の中、栗原政史は今日もまた、新しい問いが生まれる瞬間をそっと見守っている。